平成29年第3回定例会・小枝すみ子代表質問内容(全文)

首都高の寿命対策と都心のあり方について

さる7月21日、国交大臣と小池都知事が同時に「首都高都心環状線の竹橋・江戸橋間の高架を取り外し、地下化する」「日本橋に空を取り戻す」と発表しました。

7月21日朝日新聞「日本橋首都高地下化へ」

この首都高は、昭和39年1964年の東京五輪にむけて、大急ぎで整備されたもので、都市景観上長らくの問題、課題でもありました。

記者会見によると、具体的には、今後関係者で十分に議論を重ねて決定し、2020東京五輪後に着工するとのことです。いつかはやるべき、やらねばならない宿題のようなものですので、このたびさまざまな困難を乗り越えても前に出ようと国交大臣、東京都知事がともに、足を踏み出したことについて、はすばらしいことと思います。

しかし、そのやりかたについては様々な議論があり、出だしを一歩間違えると、この先、人口減少社会の中で、子どもたちに負わせる負債にもなりまねません。この話は日本橋の空の話としてアピールされていますが、この計画の2.9キロメートルの経路の半分以上は千代田区の橋の上空、常盤橋もあり、神田橋も鎌倉橋もあります。単に日本橋のこと、お隣中央区のことというわけではないということここでいうまでもなく、関係者中の関係者ということになります。

建設局日本橋川地図

この首都高は、50数年前の東京五輪に向けて完成が間に合うようにと、道路用地を確保する手間を省いて、川の上にふたをするような格好で大急ぎで建設されたものです。世界の先進国にも例がなく、景観上の問題は長らく指摘をされ続け、日本橋保存会や日本橋の空を取り戻す会、日本橋地域100年ルネッサンス委員会の、山本海苔やにんべん、たいめいけん、榮太樓、三越、三井不動産など、地元で代々営業を続ける老舗の方たちもあきらめずに粘り強くこの問題に取り組み続けてこられました。

景観上の問題ということはもちろんですが、今となってはそれ以上に、いのちと安全の問題ということがまったなしの状況に来ていることも無視できません。現在の首都高は1964年ころから計算しても50年はユウに経過しています。老朽化による危険性、維持に莫大な費用がかかる上、そもそも川の中の基礎杭の補強は、極めて困難です。

長年、撤去か、地下化か、補修かと三案をたたかわせてきましたが、地下化を打ち上げたのは、平成18年の小泉元総理時代のプラン、両論併記とはいえ、撤去を打ち上げたのは、平成24年の国土交通省「首都高速の再生に関する有識者会議」での検討です。

そして今回は平成18年と平成24年に次ぐ3回目の本格的動きとなります。

文献を読んでみると、国土交通省が2028年までに架け替える計画を立てていたところ莫大な費用が掛かるということで、周辺の国家戦略特区による再開発計画の話とセットで今回の地下化案が急浮上したということのようです。

実施時期は2020年以降とのことですが、すでに現時点でも、

日本橋一丁目中地区の再開発等によるこの計画は、日本橋川に沿ったかたちでの地下化を前提にして、すでに動き始めているのです。

そこで伺います。

  • 国交大臣は記者会見において、「地下化する具体的な形は各方面の意見を聞く」と説明されていました。地下化する高速道路の具体的な検討は、いったいどこがどのように行うのでしょうか。
  • 千代田区は、これまで地元自治体として、国や東京都との協議をどこで行ってきたでしょうか。具体的には、常盤橋の国家戦略特区による再開発プロジェクトではこの話はすでに協議をされているのでしょうか。
  • 千代田区は今後どのようなスケジュール感で、どこの部署が検討していくのでしょうか。
  • 千代田区として具体的な要望を出す準備は整っているのでしょうか。また、その必要性については認識しているのでしょうか。

国交省は、2020年の東京五輪・パラリンピック閉幕後の着工を目指し、具体的な線形や構造、対象区間、事業費などは今後、国と都と首都高の間で詰めていくことになるとのべ、小池都知事は「計画の策定と工事の実施を含めると、10年から20年単位のビッグプロジェクトになる」と述べています。

まず、2020年の東京五輪に向かう今、いつかはやらねばならない大事業に足を踏み出したことについては、私も、賛意を表したいと思います。そしてこのことはこれからの東京50年あるいは100年を決定づける大事業になるということは間違いありません。大切なのはそのやり方です。

わたしたちが、国交省や東京都が発表した際に抱いた不安と心配は、さすが、誰よりも日本橋を愛し、日本橋の空を取り戻したいと活動をリードしてきた地元日本橋保存会の老舗重鎮が、「工期も費用もかかる地下化ではなくて撤去をすべきだ」と表明しています。この考えすなわち、「地下化せずに撤去」という考え方は、決して荒唐無稽なことではまったくもってありません。平成24年国土交通省における有識者会議で検討された案の中でも、撤去もしくは現在と違う地下ルートを提示しています。

2009年作成の道づくり川づくり街づくり研究会

都庁OBのNPO、「撤去すべき」

また、誰よりも東京の交通政策を熟知する都庁のOB(かつて東京都の道路行政を担当していた方々)を中心に構成するNPO道づくり・川づくり・街づくり研究会の皆さんも、首都高の将来のあり方について様々な試算を試みた結果、撤去することが財政的にも道路計画的にも、撤去することがもっとも合理的な方法と結論づけられたというのも事実です。平成22年当時のことです。私自身も、人口減少社会におけるインフラ管理の負担軽減などいくつかの観点から、この意見こそ、もっとも将来世代に対して責任ある考え方であると思います。スタートラインは重要です。今がまさにその時です。千代田区は、中央区とともに地元当事者であり、将来世代に責任ある検証と発言が求められるところではないかと思います。

以下、財政論、景観論、防災論、交通政策論等、それぞれの観点からどうかということについてお聞きします。

財政的にはどうでしょうか。

竹橋から江戸橋まで2.9キロを地下化して約5000億円かかるといわれます。少なくとも川の上にかかる高速や老朽化が激しいところは、早期にどうにかしなければならないはずです。

さきほどの都庁OBを中心に構成するNPOの試算によると、耐用年数を過ぎた都心部(中央環状線の内側)の高速道路を地下化すると7兆5千億円(H22当時試算)の工事費用がかかると算出しています。先ほどの地元日本橋保存会の重鎮は、今回のやり方について「1センチメートル170万円で地下化して、工期も10年~20年かかる、地下に高速道路を通しながら再開発でビルを建て替えるとなると、技術的に大変な問題がある。」と指摘しています。今回の川岸地下に移設する案では、全体の試算がどうなっているのか、お答えください。


次に、防災の観点ではどうでしょう。

これをご覧ください。

平成7年1月17日、阪神淡路大震災 阪神高速 高架落下報道

平成7年阪神淡路大震災の当日のテレビや新聞で衝撃をもって報道されたのは、「阪神高速が横倒しの写真」、「地震で崩壊した阪神高速道路」、「ねじ切られた高速道路」と、衝撃映像が飛び交いました。東京の高速道路は半世紀を経過し、老朽化しているとともに、耐震補強をしているからと言っても、日本橋川の中の支柱で支えられている首都高は、支柱の基礎補強を行うことはできません。よって、来るべき首都直下型地震に、何らかの損傷があるだろうことは容易に想像ができます。20年かけて、再開発している間に、30年以内に首都直下型地震が起きる確率は、70%と言われる中で、先送りは許されない状況です。これが、再開発を進めながらまず2.9キロから始める、この地点で10年20年をかけるという悠長なやり方に危機感を抱く理由です。

今回地下化されない部分は、いつ頃どのようにするお考えなのでしょうか。この庁舎に沿って存在するここ俎板橋上の首都高はいつどうなるのでしょうか、当分このままということもまさかありうるのか、お答えください。

次に、景観論としてどうなのかということです。

江戸橋・竹橋から実施する現在案では、千代田区側は、竹橋への出方がどうなるかが心配になります。このままいくと皇居平河門周辺に巨大な構造物が建設されることになり、皇居周辺の景観が損なわれる可能性があります。どのようにシュミレーションしているのか、伺います。

千代田区にとってここは大変重要です。なぜなら、千代田区の一番の特徴であり魅力は「皇居」があるということです。並ぶ官庁千代田濠、千代田区歌に歌われる通りです。景観審議会に出席されていた町会長さんもこのことが一番気になって、景観審議会委員に公募したとおっしゃっていました。皇居が高いビルに埋もれて見えなくなるようなこと、一番のシンボル、誇りを高層ビルの谷間に埋めてしまうことは、メインシンボルを失うような誇りを失うようなものだと、地域のかたはおっしゃいます。

法政大学デザイン工学部建築学科、陣内秀信教授は、日本橋かいわいは、「かつて明治時代水の都ベネツィアに例えられたロマンあふれる場所だった」として、近世、近代、現代へとつながる遺構がしっかり存在している日本橋周辺の歴史をひもといて、江戸橋から日本橋、常盤橋と集積する、歴史的遺構を大切にしながら、「日本橋の一部だけを地下化するよりも、全部撤去する方がリーズナブルだという専門家も増えてきた。それなら撤去するまでの過渡期を楽しむことを考えてみてはどうか。プロジェクションマッピングのように光のアートを投影して楽しんだり、ニューヨークのハイラインのように公園化して人々に開放するなど、積極的に活用して、夜景を楽しむ。」など、「道路景観、水辺の再生、路地空間の復権と複合的な視点での議論がおこってきたのではないか。」と投げかけてます。

ここは日本橋の方々とも連携して、景観と環境の視点から、中央区においては、日本橋から江戸橋に連なる近代化遺産ともいえる川沿いの歴史的ビル群と舟運の歴史を保存しながら発展させることによって後世に魅力を引き継ぐこと、千代田区においては、日本橋川に向けて象徴的に残る大手町から一橋付近までに繋がる江戸城外堀の石垣の再整備などを含めて皇居周辺の歴史と魅力を後世に引き継ぐこと、このことを合わせて考えつつ、今度の歩みを進めることが、50数年後に2度目の東京五輪を行う際に未来を見つめる視点としては大変重要ではないでしょうか。

次に、交通政策としてどうかということについてです。

平成24年の国土交通省有識者会議の資料によると、当時の都心環状線の利用交通は、いわゆる三環状(圏央道、外環道、中央環状)が整備される中で、都心の真ん中に高速道路があるという先進国ではあまり見られない状況を温存しなくても、都心3区を通過するだけの交通が61%、つまり、都心を走らなくても他の環状で通り抜けるインフラが整ってきているということが示されています。

少子化に加え、若い方が車を持たな脱車社会の傾向も強くなり、まして将来世代がこうした構造物を撤去する財政力がない時代となることも想像され、また千代田区も大いに推奨している水上交通や自転車利用、カーシェアリングなどが進んでいくことを前提に考えれば、巨費をかけ果てしない時間をかけて地下化して残す意味はないという、日本橋保存会の重鎮が言われることが、まさに正論と思われますが、

石川区長のお考えはいかがでしょうか。


  • 千代田区参画協働ガイドラインについて

平成27年10月1日、ちょうど2年前の代表質問で、私は「千代田区参画協働ガイドライン」について、共感と疑問と、双方投げかける質問をさせていただきました。私はこの時、策定時、平成26年4月の策定にむけて行った区民向け、職員向けパブコメの中で、区民からの意見はゼロ、職員からの意見が19件ある中で、職員の苦悩を感じる部分がありましたので、ご紹介しました。もう一度、取り上げます。

「現在進行している施設整備、学校保育園、出張所など、議論を丁寧に行うにはマンパワーと時間を要します。お金と時間をかければ、かなりの要求を実現できるが、どのくらいの時間を想定しているのでしょうか。・・・行政のあるべき姿であることは否定しないが、所管部はこの痛みを実感しているのでしょうか。」との職員の問いに、区の答えは「方向性について合意形成をはかるのに時間がかかるのはご意見の通り。しかし、土地の資産価値の高い千代田区では、その活用にあたっては区民意見の把握と十分な説明が行われるべき。参画手法の対象範囲は、案件によるが、学校区単位を基準とした方が、より効果的と想定される」と答えています。

この当時2年前に、私がお伺いしたいくつかの事例は、外神田一丁目公共施設、お茶の水小学校建て替え、神田警察署の旧千代田保健所移転の三点をケーススタディーで伺ったのですが、ガイドライン上の進め方は、確かにほぼそれに沿った進め方になっていました。

時を経て、今回は、平成28年決算事項の二つの案件について伺います。

一つは(仮称)区立麹町仮住宅の整備【新規】および、

二つ目は、四番町保育園児童館等施設整備【新規】についてです。

画像:参画協働ガイドラインの39ページ「低未利用地活用、施設整備、大規模改修、施設廃止」参照

2年前の答弁で、神田警察署の旧千代田保健所移転は一時的暫定的な活用だから5つの類型に該当しないと答弁がありました。確かにそういうさだめでした。

それでは、この二つについても、5つの類型にはあたらないと言えるでしょうか。

地域の公共施設建設の際は、これまで、

基本構想 ➡ 基本設計 ➡ 実施設計

という手順を踏んできました。

地域の意向調査を前提に、どんなものをたてるかを決め、基本構想にとりかかる。学校など地域密着施設では、基本構想の段階から協議会等をつくり地域の代表で協議をする。

基本構想ができると、イメージ図やラフスケッチができてくるので、これを議会や地域に示して、意見を聞く。この段階ならいかようにでも、組み合わせや建て位置なども変えられる。

ここで大方の合意を取りながら、基本設計に入る。さらに議会の意見を聞く。

最後に、実施設計ということでこの段階にはいると、壁の色とか、素材を変えるくらいしかできないのが通例です。

費用面でも、設計料全体が、10とすると、基本構想が1割、基本設計が2割、実施設計は大変重い建築図書で膨大なものなので7割くらいの割合となると、私は議員になった当初にこの話を聞きました。いまは時代が変わって、IT化も進んで、経費の割合は変わったかもしれませんがざっくりそのような基本認識です。

ところが、(仮称)区立麹町仮住宅の整備【新規】の場合、そうした手続きをふまずに、すでに実施設計は終了しています。どうしたことなのでしょうか。

四番町保育園児童館等施設整備【新規】の場合も、そうしたプロセスが踏まれていません。

参画協働ガイドライン39ページでは、どのような段階を踏んでいまどこにいると考えればよいのかお答えください。

石川区長は3月の本会議で、平河町四番町等にかかわる質疑にあたり、以下の趣旨の答弁をされています。いま読むと、区長は就任5期目にあたり状況を理解していたこともうかがわれる興味深い答弁です。

前文省略、

「さまざまな見える化、透明化というのが、十分であるかどうかというのには、ご指摘の点は、十分私もわかっております。ただ、私のほうは、仕組みとしてはかなりでき上がっていると思います。ただ、それをいかにきちっと、それぞれの事業部門で進めるかということが肝要だろうと思います。」

「特に、選挙後に各部に指示をいたしましたのは、施設整備に当たっては、必ず建設協議会等の意見を聞くだけではなくて、その委員のみではなくて、周辺の方々や関係者にも、同じ資料を配布し、情報を提供して、この事業の周知を徹底するように指示をいたしました。往々にして、これが今まで不十分でありまして、建設協議会だけで中身がわかっているということについては、かなり課題があるということで、全てのことについて、資料等を、関係者、あるいは周辺の住民に配布するように指示をいたしたところでございます。」

「これは、ある面では、ご承知のとおり、計画ですとか、あるいは事業、あるいは建設についての参画協働のルールがございますので、しっかりそれを、それぞれの職場が貫くように、これからもしっかりと指導してまいりたいと思います。」

と3月7日の、私の代表質問に、石川区長はこのように本会議での答弁をされているのです。

では、

どうしたらこのようなお考えが、行政担当の職場間で共有されるようになるだろうかと考えてみました。

その答えとして、さきほどの、職員のパブコメでのコメントが、ヒントではないかと私は思います。「行政のあるべき姿であることは否定しないが、所管部はこの痛みを実感しているのでしょうか。」というコメントが私には衝撃的だったのですが、協働と参画には、確かにお金と時間がかかるわけです。その分をきちんと手当てする、予算決算上で、協働参画にかかる経費を見える化するなど、そうした裏付けを出していくことで、所幹部所管課の精神論だけに頼るのではなく、予算の段階から議会も了解している動きとなれば、区民にも見えるわけですので、目に見えて行政の働き方がかわってくると思うのですが、このお考えはいかがでしょうか。

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